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大阪地方裁判所 昭和38年(わ)3777号 判決 1967年4月14日

主文

被告人は無罪。

理由

第一、公訴事実

本件公訴事実の要旨は、

被告人は、茨木市技術吏員で同市役所職員の一部をもつて組織する茨木市役所職員組合の副委員長であるが、昭和三八年六月二〇日午後一〇時半頃、茨木市大字下中条三八一番地の一所在茨木市消防署前路上において、同市水道事業所所長中沢一夫、同所長代理中野太一ら数名の同事業所管理職員が、同消防署に対し消防自動車の出動を求め、同事業所管理職員によつて同市内断水地域における各戸給水作業を始めようとしているのを認めるや、給水作業に関する事業所側と前記組合側との話合いに違背するものであるとして憤慨し、前記中野太一(当四一年)に対し両手をもつて同人の後頭部、頸筋、肩などを五、六回突き、もつて暴行を加えたものである。

というのである。

第二、証拠によつて認定できる右時点における被告人の具体的な行為

<証拠>を総合すると、被告人は、昭和三八年六月二〇日午後一〇時半頃、茨木市大字下中条三八一番地の一所在の茨木市消防署前路上において、同市水道事業所所長代理中野太一の頸筋などを数回手で押し又は突いたことが認められる。そして、その際、被告人が中野に対して少くとも一、二回はその背後から頸筋又はその附近を突いたことは明らかであるが、検察官の主張するようにもつぱら同人の背後からその後頭部、頸筋、肩などを突いたのか、それとも、同人の前又は横に立ちその胸などを手で突き又は押すなどの行為もあつたのかは、証拠上必ずしも明白ではない。しかし、いずれにせよ、被告人のそのような行為の回数はせいぜい五、六回の程度にとどまるものである。

ところで、被告人がそのように中野所長代理に加えた攻撃につき、その強弱の程度を前掲証拠によつて判断すると、同人が被告人の攻撃を受けて前のめりになつたりよろけたりしたことは明らかであるが、同人が「最初ぼんと突かれたときにはひよろひよろとよろめいて頭はもう地に近いぐらい曲つていました。その後も同じ程度の強さで突かれました。」などと証言し、また、堀尾証人が「ひつくりかえりそうなほど前かがみになつた。」などというほど、強度なものとは認められず、仮りに被告人に最も不利益に判断しても、堀証言に従い、中野所長代理は被告人に背後から突かれてせいぜい二〇度ぐらい前かがみになつてよろめいたこともあつたとの程度をこえることはできない。むしろ、森本証言によると、前記消防署の署長で同署庁舎内から目撃していた同人が自分ならばエキサイトしてみ掴合いになつただろうに中野はよく辛抱しているなと思いながらも、ともに目撃していた署員らに「おもしろそうに見とるな。」とたしなめ、いつまでも騒ぎが続くようなら困るから他所へ行くよう誰かに注意させようと思つたというだけで、自ら又は署員に命じて被告人の攻撃を制圧し、もしくは、警察署に通報するなどの必要を感じさせない程度のものであつたことが認められるのである。要するに、被告人が中野所長代理に加えた攻撃は特に強烈であつたとは認められない。さらに、前掲各拠によると、右攻撃は、二、三分ないし五、六分の間にせいぜい五、六回行われたものであり、その間、被告人が中野に対し「お前がいかんのじや。」「このごろ市長のごきげんばかりとりやがつて。」などと大声でまくし立て、同人も「何が悪いんじや。」と応ずるなどのやりとりもあつたことが認められるので、被告人の加えた攻撃はさほど集中的であつたとは考えられない。

第三、被告人の右行為に対する法的評価

本件公訴事実指摘の時点における被告人の行為が前段認定のとおりである以上、それが暴行罪の構成要件に該当するものといわざるをえない。ところで、右行為につき被告人に対して刑事責任を問うには、同時にそれが有責、違法な行為でなければならない。もとより、犯罪の構成要件は違法な行為の類型であるから、ある行為が一定の構成要件に該当する以上、一応その行為の違法性も推定されるであろう。しかしながら、もともと違法性の判断はその行為の社会的評価にほかならないから、構成要件該当性の判断の如く形式的抽象的になされるべきではなく、これを具体的、実質的に、すなわち、動機目的、手段方法、法益の権衡等諸般の具体的事情を考慮し実質的に判断しなければならない。そして、このように実質的に判断して、その行為が全体としての法秩序にそむかない場合には、たとえその行為が構成要件に該当していても、前記推定は破れ、違法性を欠くものとして、犯罪の成立は否定されるべきものと解する。

(一)違法性判断の資料となるべき諸事情

被告人の行為が実質的に判断して違法性を有するものであるかどうかを検討するに先立ち、その判断の資料となるべき事情をみるのに、<証拠>によると、次の諸事実が認められる。

1、事件の背景(概観)

本件は、後記の如く昭和三八年六月二〇日茨木市域の一部において発生した上水道の断水に際し、勤務時間(午前九時から午後五時まで)の経過後にいわゆる各戸給水を行う必要が生じ、これをめぐつて同市職員(同市水道事業所の職員を含み、いわゆる管理職員を除く。)をもつて組織する茨木市役所職員組合(以下組合という。)と同市当局との間に生じた紛争の過程において惹起された事件である。

2、被告人および被害者の身分

被告人は、当時同市技術吏員で、組合の副委員長(専従)であり、かつ、組合が加盟している自治労大阪府衛星都市連合職員労働組合(以下衛都連という。)の書記長をしていた。他方、被害者中野太一は、茨木市水道事業所の所長代理で、同事業所の業務課長と庶務係長をも兼ね、いわゆる管理職として非組合員である。

3、茨木市水道事業所の法的性格と組織

本件当時、茨木市の水道事業は地方公営企業法の全面適用を受ける地方公営企業であつて、同市助役大槻良衛がその管理者となるとともに、その事業の運営に当る部局として同市水道事業所(以下水道事業所又は単に事業所という。)が置かれ、所長中沢一夫(同市施設課長を兼務)のもとに業務、工務の二課を置き、前者については庶務、経理、業務の三係が、後者については工務、給水、修理、浄水の四係が設けられていた。

4、昭和三八年六月二〇日の断水とこれに対する茨木市当局の対策

茨木市の上水道は、近時大都市周辺の衛星都市の顕著な傾向である人口の急増に伴い水の需要が極度に増加したのに対し、施設の整備拡充がおよばないため、給水能力が貧弱であつて、これを補うため、大阪府営水道より一部送水を受けているほか毎年夏場には同市を流れる安威川の仗流水(第三水源地は本来この仗流水を主な給源とする。)が減少するため同河川の表流水を直接揚水ポンプで第三水源地の貯水池に汲み上げで貯水量を増やすなど応急の措置を講じて急場をしのいできたが、なお給水能力が不足勝ちであるうえ丘陵地帯の多い土地柄でもあつて毎年渇水期になると水圧が低下し、周辺の高台地区においてしばしば減水ないし断水を生ずる状態にあつたところ、たまたま、昭和三八年六月二〇日には府営水道よりの送水量が、取入口の送水管にパツキングが詰つて、激減したこと、同市水道施設の中核をなす第三水源地において前記応急用揚水ポンプが数日前より故障(モーターの焼損)し前記の方法により安威川の表流水を利用することができなくなつたことなどから絶対量が不足していたうえ、数日間降り続いた雨がやんで晴れ上がり一般家庭の使用量が急増したため、同市周辺部の中穂積、三島丘、上穂積、下穂積などが順次減水または断水となり、水道事業所には同日午前中から(一部の地域は既に前日の一九日昼間から。)右各地区の住民より断水に対する苦情ならびに給水の要求が殺到した。そこで、中沢所長は、六月一九日夜減水または断水の報告を受けるや直ちに係員に対し第三水源地の応急用揚水ポンプの運転を命じたが、前記のとおり同ポンプが故障していて用を足さなかつたため、翌二〇日にいたり、前日の水の消費量その他前掲諸般の情況から断水地域の続発を予想し、右揚水ポンプの修理を急ぐとともに、断水地域に対する各戸給水の必要があるとの見透しを立て、午前八時頃担当の吏員に対し揚水ポンプのモーターの修理を急ぐように命じ、また、各戸給水については、当時同市には応急用に使用できる給水タンク又はタンク車の備付がなかつたため、午前九時頃、中野所長代理に近隣の都市からタンク車を借入れて各戸給水を実施するように指示をしたうえ、自らは前記揚水ポンプの修理の促進、代替品の手配、水源地相互の調整などの技術面を担当することとした。そこで、中野所長代理は、経理係長堀顕をして給水タンクの借入れに当らせたが、同係長ら管理職側の不手際もあつて、ようやく午後五時五分頃、隣接の箕面市から借入れた給水タンク一基に満水しトラツクに積んで茨木市役所本庁玄関前に到着した(以下このトラツクをタンク車という。)。これより先、中野所長代理は、タンク車の借入れに手間取ることを予想し、午後二時四〇分頃茨木市長坂井正男を通じて各戸給水をするために茨木市消防署に対し消防用タンク車(以下消防車という。)の出動を要請し、その出動を得て午後三時頃から給水係員塩山博之(組合の書記長)外五、六名をして右消防車によりまず三島丘方面の各戸給水を実施させたが、なにぶんにも広範囲に亘る断水のため、午後四時頃の時点において、職員の勤務時間内に各戸給水を完了することは到底不可能な見透しとなつた。ここにおいて前記管理者大槻助役は、事業所の一部職員に対し業務命令を発して残余の給水を実施する以外に方法がないと考え、午後四時三〇分頃、中野所長代理および市長室人事係長を交えた三者で協議した結果前記塩山給水係員ら七名の事業所職員(いずれも組合員)に対し同日午後一〇時まで勤務し給水作業に従事すべき旨の業務命令を発した。

5、昭和三八年六月二〇日前の組合の斗争状況、特に時間外勤務の事前協議制の廃止に伴う組合の超過勤務拒否斗争について

茨木市では、従来から組合との間に労働基準法三六条の時間外勤務に関する協定(以下三六協定という。)は結ばれていなかつたが、これに準ずる制度としていわゆる時間外勤務の事前協議制を採り、毎月一回、時間外勤務を必要とする課(これに準ずるものを含む)の長は、各課ごとに市長室に対し事業の内容、必要人員数および必要時間数などを記載した要求書を提出し、市長室はこれを一括して理事者側三名、組合側三名よりなる会議にかけて協議決定し、これにもとづき時間外勤務を実施することとし、これにより不必要な超過勤務を規正しつつ円滑に時間外勤務を実施してきたが、昭和三八年一月坂井正男が同市市長に就任するや、同市長は右事前協議制すら不用であるとしてこれを一方的に破棄したため、事後は緊急やむを得ない場合職員(組合員)は任意に時間外勤務を行い、または、各課の長が個別的に組合の執行委員長の了承を得てその課に属する職員(組合員)に時間外勤務をさせるという変則的方法が採られることとなつた。ところで、坂井市長は、もともと、職員の綱紀粛正および財政の再建の名のもとに組合活動の規制を標榜して市長選挙に臨み当選したのであつて、市長就任後は右事前協議制の廃止のほか、組合との団体交渉を拒否し、職員採用委員会制度(情実人事を避ける目的で職員の新規採用に関し組合の代表を参画させるもので昭和三一年頃より制度として実施されてきたもの。)を廃止するなど、従前の労使の慣行を破棄もしくは無視し、さらに短期(一週間毎)の勤務評定の実施、定期昇給の停止等と矢継早やに徹底した組合対策を実施し、さらにこれを強化する趨勢にあつた。ここにおいて、組合では何よりも団体交渉の場を作る必要に迫られ、坂井市長に対し人事院勧告および定期昇給の完全実施その他の事項につき協議するため団体交渉を開くよう文書または口頭で何回となく申入れをしたが、同市長においてこれに応じようとしないため、同市議会議長、同市役所課長会などに依頼して市長に対し組合の団体交渉の申入れに応じるよう口添えしてもらうなどしたが、いずれも実効がなかつたため、同年六月八日超過勤務拒否の斗争に入り、その後毎平常日の午後五時から全員集会を開き、斗争を盛上げてきた。

6、昭和三八年六月二〇日における斗争状況と勤務時間外の給水作業の実施

前段認定の状況のもとにおいて、事態を重視した自治労本部は斗争指導のため自治労近畿地連書記長磯村謙次を組合に派遣したので、同書記長は六月二〇日正午過頃茨木市役所を訪れ、市長が在室しなかつたため大槻助役に会い、当日の断水などを例にとつて早急に三六協定を締結することの必要性などを強調しながら、組合との団体交渉に応ずるよう要求したが、同助役は市長に取次ぐことを約したのみで確答しなかつた。ところが、やがてさきに認定したとおり勤務時間経過後にも各戸給水作業を継続しなければならない状況となり、前記業務命令も発せられたため、組合では、同日午後五時から開かれた全員集会において、被告人の提案により右業務命令については労働基準法に違反し無効のものとしてこれを拒否し、いま一度執行部から三六協定の締結等に関し理事者に団体交渉を申入れること、そして、もしその申入れを拒否された場合には、市民の迷惑を極力避けるため、右業務命令とは関係なく、組合の手で自主的に給水作業を行うこととし、(以下これを自主給水という。)そのため水道事業所勤務の組合員は第三水源地で待機し、責任者を塩山書記長として、その指示に従うことをきめ、塩山書記長は水道事業所勤務の組合員約二〇名を引連れて第三水源地におもむき、他方、小矢田委員長および原田副委員長は管理者大槻助役に会い、右申入れをしたが、同助役から「市長の方針であるから。」とか「時間がないから。」ということで拒否された。ところで、塩山書記長ら一部の水道事業所勤務の組合員が右のとおり第三水源地で待機していることを知つた中沢所長は午後六時前頃塩山ら四名に対する業務命令書(他の三名に対する業務命令書は既にこのときまでに中野所長代理からそれぞれ本人に交付されている。)を持ち中野所長代理を伴い同水源地におもむいたが、同所長は三六協定のないままに発せられた右業務命令にはその効力に疑問があるとし、もつぱら職員を説得してその協力のもとに給水作業を実施しようと考え、業務命令書は交付せず、ひたすら塩山書記長に対し給水に協力することを求め、同書記長においては、現在執行部が市当局と接衝中であつてその結果を待つてきめるが、それよりも三六協定を結ぶのが先決であるなどと述べ、互に譲らないで応酬しているうち、午後六時過頃中沢所長に対し坂井市長から電話で「市役所前にタンク車が停まつているではないか、早く帰つて給水せよ。」という趣旨の厳しい指示があり、他方、塩山書記長に対しては、副委員長である被告人から電話で「組合の申入れは結局不調に終り自主給水をすることにきまつた。所長が水源地にいるようだからその旨了承を得て出発してくれとの連絡があつた。そこで、塩山書記長は、市長の指示で帰ろうとする中沢所長を呼び止めて「結局協定が結ばれなかつたようだから業務命令によつては給水できないが、自分が責任を持つて給水するから任せてほしい。」旨申入れたところ、何より給水が先決であると考えていた同所長において直ちに了承したので、同所長が業務命令書の交付を避け書記長である自分に一任したのは組合による自主給水に同意したからだと理解し、給水作業を実施するため市役所に帰つた。ところが、これに先立ち帰庁した中沢所長は、前記市長の言葉どおり、市役所本庁玄関前に満水したタンク車が放置してあつたため、直ちにその場にいた前記堀係長と浄水係長西野隆則、業務係長堀尾清治の三名に同タンク車に乗車して中穂積地区に給水に行くことを命じ、堀、西野の両名が助手席に、堀尾が荷台にそれぞれ乗車したが、これを見た被告人ら組合員は、既にその頃組合において自主給水を行うことを決定していたこととて、直ちにその場に駈けつけ、右係長らに車から降りるように要求し、下車させたが、中沢所長はこれを見ながらもあえて被告人らの行動を阻止しようとしなかつた。次いで、塩山書記長ら組合員がタンク車および消防車に数名づつ乗車し、組合旗を立てるなど自主給水の外形を整えて出発し、三島丘、中穂積地区などに各三回宛ぐらい往復して各戸給水を実施した(給水先については第三水源地に詰めていた管理職たる工務係長北川治郎の指図に従つた。)。

7、前示第二に認定した被告人の行為の直接の誘因とその行為時の状況

中沢所長は、夜間給水作業に従事している水道事業所職員ら(組合員)の労をねぎらうべく、同人らに対する夕食の手配を中野所長代理に命じたにもかかわらず、同所長代理が誠実に事を運ぼうとしなかつたため、その手配が遅れ、やむなく組合側で夕食を給するなどのこともあつて、組合員らは当局側に対し不満をつのらせ、また空腹を訴える者もあつたので、午後一〇時頃、塩山書記長は、小矢田委員長に、「新たに断水した下穂積地区の一部を残して一応終了し、時間の切りもよいので一たん帰庁して食事をさせたい。」旨連絡し、同委員長の指示により、消防車に満水して何時でも給水できる態勢で市役所に向かい、タンク車も一部未給水地域を廻つたのち帰途についた。ところが、その頃一市会議員より中沢所長に対し中穂積の一部に未給水地区がある旨連絡があつたため、同所長は小矢田委員長に対し当該地区の給水を依頼したところ、同委員長は、「塩山書記長は一応終了したから帰つてきたので、当面の責任者である同書記長に相談してみる。」旨答えて塩山書記長の帰るのを待つた。一方同書記長は、午後一〇時頃帰庁したが、仮りに給水を継続するにしても安全な消防車だけで行うつもりで翌朝の給水準備の趣旨もあつてタンク車のほうは残り水を放水させたうえ、残余の給水の要否その他について相談すべく中沢所長の所在を探したが、見当らないので、中野所長代理にその旨所長に伝言してくれるように伝えておいた。ところが、同所長代理はこれを承諾しながらも、反組合的な感情から、あえてこれを中沢所長に伝えなかつたので、同所長は、タンク車の水が放出されているとの堀係長の報告により、たまたま小矢田委員長からもその頃までに残余の給水について何の連絡もなかつたこともあつて、組合ではも早や残余の給水を行わない方針でいるものと速断し、管理職員による給水の実施を決意し、自ら、直ちに市庁舎南側に隣接する前記茨木市消防署におもむき、森本署長に対し消防車の再度の出動を要請したところ、同署長はこれを了承し、署員に対し消防車の運転を命じた。中沢所長らのこのような動きを知らず前記のとおり同所長を探していた塩山書記長は、同所長が消防署に居ることを知つて同所長室にいたり、中沢所長に対し話合うため水道事業所に帰ることを求めたところ帰庁する意思を示したので、同書記長は一たんその場を引揚げたが、その直後の午後一〇時二〇分頃、右消防署において、堀、堀尾両係長が消防車に乗車し、消防士が同車を運転して出庫しかけているのを認め、前記のとおり組合書記長として給水を全面的に委任されているものと信じ自らも午後三時頃より引続き給水作業に専念してそのほとんどを終え、なお残余の給水について話合おうとしていた矢先に、これを全く無視して管理職だけで給水の仕上げをしようとしているものと考え、大声で同車の運行を制止して右堀、堀尾両係長を下車させるとともに市役所分室附近にいた組合員に急報したうえ再び消防署前に引返し、同署車庫前に降りてきた中沢所長の姿を認めるや、その側に駈けつけ、「今日の給水を任すと言つておきながら、今になつて一方的に管理職だけで給水に行こうとするのは話が違うじやないか。」など言つて手で同所長の胸附近を数回押し、さらに、「もう君たちと話合う必要はない。」と言つて逃げ腰になる同人のかかとに自己の足を掛けるなどの行為をした。他方、被告人も、その頃、管理職員だけで給水に行こうとしているのを知り、かくては組合による自主給水の成果が減殺されるものと考え、他の組合員らと共に組合事務所から飛出して前記消防署附近にいたつたところ、同署車庫前附近で塩山書記長が中沢所長に対し前記のとおりの行為に出ており、その傍で、消防車に乗るべくその助手席に近付いていた中野所長代理が、右塩山の強硬な態度と一団となつて駈け寄つてきた被告人ら組合員の勢いとに驚き、急遽警察官の出動を求めるべく、一〇米位離れた同消防署一階東南角にある起番室に向かい右手を頭上に上げてぐるぐる廻し電話を掛ける仕種をして警察に通報するように合図をしたため、これを見て同人の意図を察知した被告人は、警察への通報をやめさせるとともに同人の態度に抗議すべく同人の側に駈け寄り、前示第二において認定したとおりの行為におよんだのである。

8、その後の状況

やがて、塩山書記長から中沢所長に「部屋に帰つてさらに話合おう。」と申出たのをきつかけに、中沢所長、中野所長代理、堀ら四係長の管理職側と小矢田委員長、塩山書記長を含む組合員二十数名は相共に事業所に帰つた。そして、そこで、組合側から管理職側に対し、違法な業務命令で時間外労働を強制しようとしたとか、組合の意向を無視して管理職だけで給水に行こうとしたなどと抗議をしたうえ、やがて、組合側では、事後の話合いは幹部に一任することとし、残りの組合員の一部が消防車に乗り、給水未了地域への各戸給水におもむいた。

(二)  違法性の判断

地方公営企業の職員たる茨木市水道事業所の職員については、労働基準法が全面的に適用され、その労働時間は同法三二条により原則として一日八時間である。ただ、同法三六条によりいわゆる三六協定が締結されている場合にかぎりその協定の範囲内で例外的に右時間を超えて職員を就労させることができるだけである。従つて、三六協定を欠きながら右時間を超えて就労を命じた前記業務命令は違法であり、職員は右命令に従う義務はない。検察官は、六月二〇日の断水はまさに労働基準法三三条一項にいわゆる「災害その他避けることのできない事由」にあたり、そのため事業所職員に時間外勤務をさせる「臨時の必要」があつたため右業務命令が発せられたのであるから、同命令は適法、有効である旨主張する。しかしながら、地方公営企業の職員の勤務関係は、一般公務員のそれと異り、当事者対等の基本原理によつて律せられるべく、この点においてむしろ私企業における労使関係に類するものと考えられるのであり、さればこそ一般公務員の場合と異り、同条三項の適用はなく、私企業と同様、同条一項をもつて律せられることとなつているのである。このように一般公務員に対する右三項とは別にさらに厳格な要件のもとに右一項の規定を設けていることと、もともと八時間労働制は現行労働法上の大原則であり厳守されるべきものであるが、しかもなお、三六条により使用者と労働組合とが協定を結ぶことによつて時間外労働をさせる途が開かれているのである。従つて、右三六条によらず労働者の意思を全く無視して時間外労働をさせることを認めた三三条一項の規定については、その解釈適用は厳格になされるべく、いささかでも拡張的な解釈適用を試みることは厳にこれをつつしまなければならない。そこで、この見地に立ち右三三条一項をみるのに、そこに「災害その他避けることのできない事由」とあるのは災害その他客観的に避けることのできない事由であつて通常予見される範囲を超えるものをいうものと解すべきところ、もともと水道事業はその性質上職員の時間外勤務を必要とする場合の多いことがなんぴとにも容易に予見しうるところであり、このことは前記のとおり施設上の事由により過去幾回となく断水の経験を持つ茨木市において特にそうであるから、同市水道事業所としては、そのような事態にそなえ、あらかじめ組合との間に三六協定を結び合法的に時間外勤務を求めうる手立てを尽しておくべきであり、もしそれがなされているならば、たとえ六月二〇日の断水が需要の急増のほかに前記府営水道の取入口の故障および応急用揚水ポンプの故障という不測の原因も加わつて生じたものであつても、その協定の範囲内で職員に対し合法的に勤務時間外の給水作業を命じえた筈である(本件においては管理者側に給水準備の不手際がなければ実際の時間外勤務はさらに短縮されたであろう。)。殊に、当時組合側においては三六協定の締結を拒否していたわけではなく、ただ、同協定なくして超過勤務をすることを拒否していたに過ぎないのである。(もとより、同協定の締結のための交渉の際には組合側から人事院勧告の完全実施その他の要求がなされたであろうと容易に推測できるが、当局側の誠意如何によつては三六協定の締結とともにそれらの紛争をも合理的に解決しえたであろう。)ところが、茨木市水道事業所では、従来から三六協定がなかつたばかりではなく、これに代るものとして行われていた時間外勤務の事前協議制さえも坂井市長の組合敵視政策のもとで当局側により一方的に破棄されたのである。このように三六協定の締結によつて容易に同協定の範囲内で合法的に時間外勤務を命じえたのに、何らの合理的理由もなくして同協定を締結せず、三三条一項を乱用して職員に時間外勤務を命ずるが如きは到底容認し得ないところである。前記業務命令の違法、無効であることは論を待たない。

ところで、組合側では、違法、無効な業務命令による勤務時間外の給水を拒否し三六協定なしでの超過勤務を拒否するという斗争の筋を通さねばならない反面、地方公営企業たる水道事業所の職員として断水による市民の迷惑をできうるかぎり軽減しなければならないとの考慮も働き、いわば進退両難に陥つた結果、いわゆる自主給水に踏み切り、第三水源地における中沢所長と塩山書記長との前認定の如き話合いにより当局側からも自主給水を許されたものとして、午後一〇時過ぎまで連続三時間余にわたり、事業所所属の組合員の総力を挙げて各戸給水作業を行つたのである。そこではもとより超過勤務手当(時間外割増賃金)を請求しうべくもなく、いわば無償の奉仕がなされたのである。ところが、右作業のほとんどを終わり、あと僅かばかりの給水未了地域を残すのみという段階になつて、組合側の意向を十分確かめようとせず、一方的に、管理職のみによる給水作業を強行しようとしたのである。かくては、せつかくの自主給水もその成果が減殺されるとして、組合側の憤激を買うことは火を見るよりも明らかである。殊に本件の被害者中野所長代理は、中沢所長の指示により、断水対策の立案と実施に全面的に関与していたものであるところ、自己ら管理職側の不手際もあつて給水実施が遅延し相当大幅に勤務時間を超過して給水作業を実施するのほかない状勢となるや、大槻管理者に同調して、安易に、違法な業務命令によつて事業所職員に時間外勤務を強制しようとし、また、中沢所長の指示にもかかわらず、夕食の手配を誠実に行わず、殊に、午後一〇過頃給水作業を一たん打ち切つて市役所に帰つた塩山書記長から残余の給水の要否につき中沢所長とさらに相談したい旨伝言を依頼されながら、故意にこれを同所長に伝えず、そのため、同所長をして組合ではも早や残余の給水を行わないものと速断させ管理職のみによる給水を指示させたものであつて、その間における数々の不信行為については大いに責められなければならない。しかも、本件現場においては、未だ警察官の出動を求めなければならないほど事態は切迫していないのに(このことは特に中沢、森本各証言によつて明らかであるのみならず、塩山書記長の中沢所長に対する攻撃が刑責を問うに値いしない程度のものであることは同書記長に対して起訴がなされていないことからもうかがわれる。)、安易に警察力を導入して事の解決を図ろうとするなど、中野所長代理の行動には不当に挑発的なものがあつたといわざるを得ない。そこで、管理職のみによる給水実施についての推進者であり、かつ、右の如き警察力の導入という挑発的な行動に出た中野所長代理に対し、これを抗議し阻止するため、被告人が前認定の如き内容程度の行為に及んだことは、その行為自体やや穏当を欠くきらいがないとはいえないにしても、組合副委員長として、また衛都連書記長として、当局側との前記斗争を指導し、また、同夜の自主給水についてもその指導者の一人の地位にあつた被告人としては、まことに無理からぬものがあり、行為の動機目的、手段方法やその間の経緯、法益の権衡等諸般の事情を考慮すると、被告人の行為は健全な社会通念に照らし、未だ法秩序全体の精神に反するものとして刑罰を以つて臨むべき程度には至つていないものといわなければならない。従つて、被告人の行為は、実質的に違法性を具有しないものとして、罪とならず、被告人に対しては刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすべきである。

よつて、主文のとおり判決する。(河村澄夫 岡次郎 岡田春夫)

<参考>

公訴棄却の申立に対する判断

(右申立に関連してなされた証拠調請求に対する決定をも含めて)

第一、本件公訴の提起が憲法二八条、一四条、刑事訴訟法一条、二四八条に違反するとの理由で公訴棄却の判決を求める主張について

この主張に関連して問題となるのは、ただ、本件が犯罪の嫌疑なくして起訴されたと認むべき場合と、たとえ犯罪の嫌疑があるにしても本件につき起訴猶予処分をしなかつたことが憲法一四条、二八条に違反すると認められる場合とだけである(所論刑事訴訟法一条、二四八条の精神に反するかどうかの点は、結局、右憲法の両規定に対する違反の有無の問題に包摂されると考える)。けだし、もし本件について犯罪の嫌疑がありしかもこれを起訴することが客観的に右憲法規定に違反しないとすれば、たとえ起訴検察官において同時に組合弾圧の意図をも有していたとしても、当該検察官のこのような個人的動機の故に国家機関としてした検察官の公訴提起を無効とすべき合理的理由を発見し得ないからである。

(一) 本件が犯罪の嫌疑なくして起訴されたと認められるかどうかについて

ここに犯罪の嫌疑があるかどうかは、起訴検察官の主観によつてこれを決すべきではなく、客観的にこれを判断しなければならない。すなわち、問題となるのは、起訴検察官が本件につい犯罪の嫌疑があると確信していたかどうかではなくて、犯罪の嫌疑のあることが手続の上で客観的に――第三者すなわち裁判所によつて――認められるかどうかである。それでは、裁判所は、訴訟の当初において、すなわち、有罪又は無罪の心証を得るためにする実体的審理に入るに先立つて、まず犯罪の嫌疑の有無についての審理をしなければならないのであろうか。否である。けだし、犯罪の嫌疑の有無についての心証と有罪無罪の心証とは理論上別異のものであるにしても、それらの心証を形成するための資料の多くは両者に共通するであろうから、もし訴訟の当初においてまず犯罪の嫌疑の有無についての審理をしその嫌疑ありと認めた場合にはさらに有罪無罪の心証を得るための審理をすべきものと解すると、それは結局重複審理を認めるものであり、このような訴訟構造は迅速な裁判という憲法三七条一項の要請にそわないのみならず、予断排斥主義を採る現行刑事訴訟法の建前にも反するからである。むしろ、犯罪の嫌疑の有無についての心証と有罪無罪の心証とを分別することなくその両者に共通するはずの諸般の証拠を取調べたうえで、犯罪の嫌疑ありとの心証が得られないときは――それは同時に有罪の確信をも得られない場合であるから――無罪の言渡をすべきものと解する。(この場合、不当な訴追活動への批判を明らかにする意味で公訴棄却の判決をすべきであるとの考え方も理由なしとしないが、それでは再起訴の可能性を残し被告人の地位を著しく不安定なものとするから、むしろ既判力のある無罪判決をなすべきものと考える)。そしてこのことは犯罪の嫌疑なくして起訴したこと自体が憲法一四条、二八条に反するとの主張を前提としてもそうである。けだし、この場合においても、本件が犯罪の嫌疑のないものであることを前提とする以上、前記の理由により、まず実体的審理を尽すほかはないからである。

(二) 本件につき起訴猶予処分をしなかつたことが憲法一四条、二八条に違反するかどうかについて

本件につき検察官が被告人を起訴猶予処分に付さなかつたことが右憲法の規定に反すると認められる場合に、所論のように公訴棄却の判決をすべきか、それとも、なお有罪の判決は免れずただせいぜい刑の執行を猶予し得るにとどまると解すべきかは、極めて解決の困難な問題である。しかしながら、当裁判所は、もし本件が所論の如くいわゆる労働事件であるからとの理由で特に起訴処分がなされたもので一般の起訴猶予基準を著しく逸脱しその意味で憲法一四条、二八条に違反するものと認められるとすれば、宣告猶予制度をすら採用していない現行法制の下においては、むしろ端的に刑事訴訟法三三条四号により公訴棄却の判決をすべきものと解したい。従つて、この限度においては被告人及び弁護人の見解を支持するものである。もつとも、この場合においても、問題は、起訴検察官の主観如何にあるのではなくて、本件を起訴猶予処分に付さなかつたことが一般の起訴猶予基準を著しく逸脱し延いては右憲法の両規定に違反すると客観的に判断され得るかどうかにあるのである。ところが、訴訟の現段階においては、本件公訴の提起が右の如く憲法の両規定に違反すると判断し得るだけの資料はない。さればといつて、実体的審理に先立ちまずこの点はついての証拠調をすることは結局二段の審理を認めることとなり、それが現行刑訴の建前に反することはさきに(一)について述べたところと同じである。けだし、この点についての適正な判断を得るためには、犯罪の態様その他犯罪事実そのものに内包する情状的事実についての検討を必要とするばかりではなく、さらに犯罪の遠因、近因、動機等犯罪事実を囲繞する諸般の情状的事実はもとより、被告人の人格面に至るまでこれを堀り下げて検討する必要があるのであつて、そのために必要とする証拠調の範囲は、結局、実体的審理(情状に関する審理をも含めて)としての証拠調の範囲と大略一致すると考えられるからである。(なお所論のうちには、本件が労働組合活動に関連して発生した事案であるから、一般事案よりも広く刑事訴訟二四八条を適用することが憲法二八条の精神にそうものであると主張するものもあるかのようであるが、当裁判所はいわゆる労働事件であると否とによつて右刑訴規定の適用範囲を異にしなければならない法令上の根拠はないと考える。)なお、もし審理の結果本件起訴処分が違憲であると認められ結局公訴棄却の言渡をしなければならない場合を想定すると、被告人としてはこの場合でも応訴し防禦するため万全の努力を尽さねばならないこととなり、被告人に対しては多大の、しかも、結局においては無用の負担をかけることとなるであろう(このことは当裁判所の見解による場合はもとより、弁護人の主張を前提としてもそうである)。しかし、これは現行制度上やむを得ないところであり、ただ、当裁判所としては、このことによる被告人の不利益を、審理を促進することによつて、できるだけ救済したいと思う。

第二、起訴状に予断事項を記載したとの理由で公訴棄却の判決を求める主張について

本件起訴状記載の公訴事実中、被告人の発したとする言葉の記載、すなわち、「『中野のがき、お前がいかんのじや』『この頃つけあがりやがつて市長の御気嫌ばかりとつていやがる』『最近の態度は横柄や』『組合をなめるな』などと怒鳴りつけ」とある部分は、本件訴因の明示のためには全く必要のない記載であり、その意味において、いわゆる余事記載であるということができる。しかしながら、余事記載はすべて当然に公訴の提起を無効ならしめるものではない。当該余事記載が裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のあるときにかぎり、その公訴提起が無効となるだけである。このことは刑事訴訟法二五六条六項の趣旨に照らし明白である。そして、本件において、起訴状の記載中さきに摘記した部分の如きは、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞があるもの、すなわち、裁判官をして本件につき有罪の先入的心証を抱かせ事案の真相を見誤らせる虞れがあるというほどのものではない。従つて、起訴状にこのような記載があるからといつて、本件公訴の提起を無効であるとする所論は採用し難い。ただ、当裁判所は、このような記載は訴因明示に関する刑事訴訟法二六条二、三項の要求を越えた無用のものであるばかりでなく徒らに争点を混乱させる虞れのあるものとして、これを無視することをここに宣言するものである。

第三、結論

以上の次第であるから、訴訟の現段階においては、公訴棄却の裁判はしないこととし、かつ、留保にかかる弁護人申請の証拠はいずれもこれを採用しないこととする。(昭和四〇年九月八日、河村澄夫 岡次郎 宇井正一)

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